沿革

安戸池

 海での魚類養殖は、昭和2年香川県引田町の安戸池(あどいけ)で、ハマチ、アジ、サバ、タイ、クロダイの稚魚試験養殖に始まりました。
 その後、餌飼料の入手難、戦争等により養殖中止をやむなくされた時期がありましたが、年とともに漸次注目される漁業に発展してきましたが、何といっても20年代後期に考案された網イケスによる小割養殖方式が、養殖の普及、生産増加に大きく貢献しています。

野網和三郎氏 魚類養殖業者による組織は、沿岸漁業の不振から「獲る漁業から、つくる漁業へ」が日本水産業のスローガンとなりつつあった昭和35年に、瀬戸内海の養殖漁業者が中心となって(10県=兵庫、香川、和歌山、岡山、広島、大阪、山口、高知、愛媛、大分)下記事項の宣言を行い『瀬戸内海かん水養魚協会』が設立されたことに始まりました。(S35.12.5)

 その時の会員数は28(漁協8、生産団体4、個人及び法人16)、賛助会員10社でした。

■ 宣言 ■
 瀬戸内海かん水養魚協会の発足にあたり、われら会員一同は、かん水養魚事業の発展を期し、もって我国水産業の振興と国民経済の伸展に貢献するため、ここに次のことを宣言する。
1.われらは一致団結して、かん水養魚の分野を拡大し、魚族の増産と、その品質を高めると共に、一般消費大衆の食生活の向上に資するため、最善の努力をつくす。 
2.政府に対して、次のことを要望し、これら実現にまい進する。
イ.かん水養魚事業の真の発展を図るため、国庫助成、財政投融資の途を講じ、団体組織、流通対策の確立等を内容とする振興助成法を制定すること。 
ロ.速やかに国立かん水養魚研究所を設置して種苗問題を解決すると共にかん水養魚技術の確立を図ること。
ハ.速やかにかん水養魚事業に漁業共済制度を適用すること。

 更に養殖業の発達に伴い、名称を広範な地域を意味する『日本かん水養魚協会』に改正(S36.8.30)。当時の会員数は、43(漁協14、生産団体6、個人及び法人23)、関係県は11県(上述+静岡)となりました。
 そして、昭和39年、ぶり種苗の需給調整を“はまち種苗需給調整協議会”で実施することとなったのに合わせて、種苗の供給県、及び需要府県に各府県かん水養魚業者団体(各府県単位に設立される府県かん水養魚協会を正会員とし、養殖業者は間接、直接にその府県の会員となる)が設立され、日本かん水養魚協会は『全国かん水養魚協会連合会』に改組(S39.4.2)されました。
 連合会の目的は次の通りでした。

目的
 本会は、会員相互の親睦協調のもとに一致協力して、かん水養殖事業の安定と振興をはかりもって、その事業の生産能率を増進し経済状態の改善、社会的地位の向上に寄与することを目的とする。

 「獲る漁業から、つくる漁業へ」という、沿岸構造方式が示されて以来沿岸漁業従事者の社会生活の向上をはかり、漁村に生きる希望を与える施策の一環として大きく浮かび上がったものがかん水魚類養殖であり、数年の間にその生産数量、生産金額が大きく伸展しました。この背景には任意団体とは言え、業者間で結成された団体の果した役割は計り知れないものがありました。現在の魚類養殖業の基盤を築き、魚類養殖が確たる地位を確保できたのは、こうした先駆者達のたゆまざる努力に負う所、大であります。

 しかしながら、その伸展と共に生産尾数の調整、必要餌料の確保、消費市場の拡大等、団体として解決すべき問題が次々と発生し、その対応、解決が迫られながらも、その対応、解決が見送られることが多々でてきました。こうした情勢下では、かん水養殖業の発展が望めないばかりか養殖漁家はもとより養殖業に関与する種苗採捕・餌料用魚種採捕で生活する漁家の生活危殆、強いては漁村の衰退にもつながりかねない状態でありました。

 組織の強化により山積みされた諸問題を解決すると共に、国民生活に欠くことのできない新鮮な魚肉蛋白質を豊富に、かつ安価に提供し、もって沿岸漁業のめざす生産性の向上と、その従事者の地位向上をより有効的に進歩せしめるために昭和41年4月1日、社団法人としての設立総会を開き新たなスタートをきり現在に至っています。(農林水産大臣許可日 昭和41年9月24日、登記日 同年10月11日)





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